開通によせて
 中山道と東海道を結ぶ山峡の道を古くから
伊勢脇街道と呼んで親しんできた
 道は時代を反映して目的を新しくしその姿形を
変えてゆく、道かける夢はやがてこの道を
日本海と太平洋をつなぐ最短距離として位置
づけた運動へと発展していった そしてこの道は
昭和五十年国道三百六十五号に昇格し路線の
改良が急ピッチで進められた
 しかし町のほぼ中央に絵のように美しい峡谷が
あって道を塞いでいる 即ち多良峡峠である
そしてこの路線最大の難所多良峡のトンネル化は
上石津町誕生以来の悲願であった
かくして苦節三十余年今日ここに上石津トンネル
として全工区の完成を見るに至った 町民の
喜びは至上であるよって盛大に開通祝賀式典
を挙行し万感をこめてその喜びを碑に刻む

  昭和六十二年十月十一日
      上石津町長  桑原久富 記