記   念   碑

   馬がもの云うた崩の坂で
      洞戸通いはいやと云うた  洞戸民謡

 昔この坂は山岳信仰の参道として開設されたもので洞戸へ
上る馬車は急坂のため米五俵を運ぶのがやっとのことで復路
には木炭 美濃紙等岐阜行の荷物が盛沢山であった
 ところが昭和八年の豪雨によって此処より約十米程高い処に
あった隧道の一部が崩壊して不通となり以来修復されないまま
長年に亘って放置されていた 然し九頭師坂は岐阜 美山洞戸
板取を結ぶ最短直線上にあり之が修復開通は地元民長年に
亘る悲願であった
後の県議会議員 船戸行雄氏を中心とする 九頭師坂隧道
貫通期成同盟は 昭和三十八年 洞戸 板取の二ヶ村及び
美山町の一部住民を一に結集して ?々強烈な活動を
展開したが遂に当時の県政を動かすことはできなかった
然し住民のひたむきな願は期せずして村行政を貫く決意と
なり 県議会議員 船戸行雄氏の支援の下凡ゆる努力が
注がれたのである
そして遂に 岐阜県知事上松陽助先生を動かし隧道の埋没
以来実に四十九年振りにして 総工費八億円余り十二年の
歳月を費やして隧道を含む九頭師坂全線に亘る工事の完成
をみたのである その意義は極めて大きい正に洞戸板取の
夜明である おもうに

 岐阜県議会議員   船戸行雄氏の執念
 第十七代洞戸村長  野村藤作氏の英断
 第十八代洞戸村長  神山智雄氏の実行
 歴代洞戸村議会議長及び議員諸氏の献身

によって かっては絶望とまで思われた本道路の建設を可
能としたことは洵に快挙であり郷土史上に輝く不朽の
大事業である
本工事推進者の一人元村議会議員故 松田定雄君の遺
志により 茲に記念碑を建立して前記諸先生の功績を
讃え尊敬感謝とともに謹んでその偉業を顕彰するものである

 昭和五十七年五月十日        松田 茂