老谷トンネル
トンネル名称 | 老谷(おいたに)トンネル | |
路線名 | 旧岐阜県道三尾河萩原線(旧国道257号線) | |
所在地 | 岐阜県下呂市馬瀬川上 | |
延長(m) | 30.6m | |
道路幅員(m) | ||
車道幅員(m) | 2.5m | |
歩道等(m) | ||
限界高(m) | 3.5m | |
竣工年度 | 1933年(昭和8年) | |
壁面 | 素掘り 吹付け(セメント系)(注1) | |
路面 | 不明(注1) | |
照明 | なし(注1) | |
通行制限 | 通行止め(注1) | |
その他 | 閉塞、廃トンネル(注1) | |
データは特記なき場合は「日本全国隧道リスト」より (注1)現地目視による |
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調査日 | 2011年3月6日 |
「日本全国隧道リスト」によると、「一般県道 三尾河萩原線 老谷トンネル 益田郡馬瀬村川上 延長30.6m 昭和8年竣工」というトンネルが記載されています。県道三尾河萩原線とは現在の国道257号の一部、益田郡馬瀬村川上は現在では下呂市馬瀬川上となります。で、地図を調べてみますが該当するトンネルは見つかりません。またネットで検索してみても目ぼしい情報は見つかりませんでした。どうやら開削されるなどして消滅してしまったトンネルのようです。 生憎該当地区の旧版地図の持ち合わせが無かったのでトンネル名と地形図で大体のあたりをつけて探してみることにしました。地形図を見ると下呂市馬瀬川上と高山市清見との境くらいに「老谷」という沢がありその近くを国道257号がはしっています。また地形図から国道257号の丁度両市の境目辺りの地形が特に険しく洞門のマークが描かれています。この洞門が「老谷トンネル」の後身なのではないかと考え現地に行ってみました。 国道257号の彼の地は何度も通ったことがある上、ネットにも廃トンネルの情報は見つからなかったのでまともな痕跡は期待しておらず、ただこの辺に昔トンネルがあったらしいよ?と、いうレポートを書くつもりでの現地訪問でしたが… |
国道257号の下呂市と高山市の境目にやって来ました。 地形図だと川の両岸ぎりぎりまで山の斜面がせまってる風に描いてありましたが、実際に現地にいくとそんな感じは余りしません。 |
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「老谷洞門」です。 よく見るとこの洞門がある辺りは本来の土地ではなく、河原の一部を埋め立ててスペースを広げているようです。 おそらく昔は川すれれの所にトンネルがあったのでしょう。それを削り取ったうえ河原の一部を埋め立てて道路の拡幅。よくある道路改良のパターンです。 「老谷トンネル」があった場所とするには絶好の場所です。 |
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「老谷洞門」の扁額です。 | |
洞門の内部です。 | |
下呂市側から見た「老谷洞門」です。 | |
洞門についていた銘板です。洞門そのものの延長や完成年を表しているのかは判断つきませんでした。 | |
で、帰ろうとしたんですが… 上から2枚目の写真の山側なんですが、なんか窪みがあって気になります。ちなみにフェンスの向こう側は国道沿いに3mほどのスペースがあります。 |
上の1枚目の写真の場所に戻ってきました。 | |
フェンスと山肌の間には車が通れるくらいのスペースがあります。 下は落石と落葉などの堆積物で埋め尽くされています。 |
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木に遮られて窪みなのか"穴"なのかまだよく分かりません。ちなみに山肌はいちめん防護ネットで覆われています。 | |
"穴"ですね。 「老谷トンネル」の成れの果てでしょう。 入り口直前にかつての標識のあとでしょうか白いポールが1本ポツンと立っています。 |
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防護ネットの隙間からトンネル内部に侵入しました。 残念ながら入る前からトンネルの閉塞は見えていました。 トンネル内部はセメントの吹付けとなっています。 |
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トンネル内の幅、高さとも極めて狭いです。車一台ぎりぎりくらいでトラックなどはとても通れそうにありません。 トンネル内部はひどく歪な形で、入り口から数メートルの所だけ妙に天井が高くなっています。 |
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入り口から20mも進まないうちにトンネルはコンクリートの壁に阻まれて終点となります。コンクリートの壁は老谷洞門の一部でしょう。 | |
閉塞地点より振り返って撮影しました。 | |
カメラを上に向けると、入り口から数メートルの地点だけ天井が高いのが分かります。 | |
路面は流れ込んできた土で覆われていて、舗装されていたか判断付きませんでした。 | |
閉塞していましたが、一応反対側も調べてみます。 | |
こちら側は高山側と違い道路と山肌との間にほとんど隙間がありません。 | |
洞門近くには古い石垣がありました。改良される以前のよう壁だと思われます。やはりこちら側の坑口は開いていないようです。 |
初稿:2011年3月6日