二股隧道
トンネル名称 | 二股(ふたまた)隧道 | |
路線名 | 国道418号線 | |
所在地 | 岐阜県加茂郡八百津町南戸 | |
延長(m) | 374m | |
道路幅員(m) | 5.2m | |
車道幅員(m) | 4.7m | |
歩道等(m) | 0m | |
有効高(m) | 4.1m | |
竣工年度 | 1956年(昭和31年)5月(注1) | |
壁面 | 覆工 セメント系 内装なし | |
路面 | セメント系 | |
照明 | なし | |
通行制限 | 高さ制限4.3m(注2) | |
その他 | ||
データは特記なき場合は平成16年度道路施設現況調査による (注1)現地名板より (注2)現地標識より |
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調査日 | 2007年4月1日、2012年1月28日 |
「二股隧道」は加茂郡八百津町にある国道418号線のトンネルです。 国道418号線の丸山〜笠置ダム間は全国的にも知られた「酷道」区間で、丸山〜r353分岐間は潮見地区への生活道、この「二股隧道」のあるr353分岐〜十日神楽間はかろうじて維持されている超酷道区間、十日神楽〜笠置ダム間は実質的に廃道区間となっています。このような現状の上沿道に民家はおろか建物すら無く(沿線が新丸山ダムの水没予定地区になっているため)、2010年には丸山〜潮見間を結ぶ国道の新道(丸山バイパス)が完成しているためいつ国道指定を解除されてもおかしくない状況です。 |
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現在では人里から離れた寂しいほとんど廃道のような道路にあるこの「二股隧道」ですが、昭和31年の竣工当時では岐阜県内第2位の延長を誇るトンネルでした。ちなみに当時第1位だったのは「鶯谷隧道、昭和28年竣工、646m」です。昭和42年刊行の「道路トンネル大鑑」のトンネルリストにおいてもまだ岐阜県内第3位をキープしており、県土のほとんどを山地が占める岐阜県ですが意外にもトンネルの開発は積極的には行われていなかったことが伺われます。 それから半世紀たった現在の岐阜県は全国でも五指に入るトンネル王国で、延長10kmを越す「飛騨トンネル」を筆頭に延長1000m以上のトンネルなど数えるのも面倒なほどになっています。 |
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よく話題になるトンネル名の「二股」ですが、これは地名に由来しているのだと思います。関西電力HPの丸山ダムに関する記述の中に「二股水力地点」という記述があります。また戦前に木曽川の水力開発を行っていた大同電力の丸山ダム関連の資料を見るとやはり「二股地点」の記述や、将来図として「二股発電所」というダムが描かれていたりします。これらからも少なくともトンネル内で「二股」に分岐していたから付いた名前ではなさそうです。 | |
昭和12年発行「木曽川開発鳥瞰図」より 丸山ダムと笠置ダムとの間に「二股発電所」というダムが描かれています。(この絵が描かれた当時は笠置ダムが完成した直後で、丸山ダムはまだ着工前の計画段階です) |
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参考:「道路トンネル大鑑」、「岐阜県のトンネル」、 「大同電力株式会社沿革史」、「木曽川開発鳥瞰図」 |
途中何度か落石をどけながらやって来ました。道路の状態が悪いのであまり車で来たくないのですがトンネル内撮影時の照明が欲しかったのでやむなく… 写真の車の止まっている辺りから旧道が分岐しています。 |
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旧道分岐点より坑門まで短い割堀になっています。 | |
「二股隧道」西側の坑門です。 丸山ダム近くにある「安渡沢隧道」と同じように口坑の左右に縦書きの銘板が付いていますが、迫石や要石を模した模様は無くデザインが簡素化されています。 |
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西側の扁額です。 | |
口坑の向かって右側には縦書きで「縣道日吉八百津線」と書かれた銘板が取り付けられています。「安渡沢隧道」にも同様の銘板がありますが、二股隧道のものは「県」の文字が旧字体で書かれています。 | |
向かって左側にはこれも「安渡沢隧道」と同じく竣工年を記した銘板が埋め込まれています。銘板には昭和31年5月竣工とありますが、「平成16年度道路施設現状調査」には昭和29年と記載されています。 | |
西側より見たトンネル内部です。 同じ沿線の「安渡沢隧道」や「柏木隧道」と比べると一回り以上断面が大きいトンネルです。当時は「日吉八百津線」を拡幅改良する計画でもあってそれに先行してのサイズかもしれません。 |
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トンネルの横壁には電線を支えていた碍子が残っていますが、天井には照明が付いていたような跡は無いので昔から照明は無かったのでしょう。 | |
東側の出口付近に待避所がありそこだけトンネルの断面が大きくなっています。 | |
待避所をすぎると大きくカーブしておりその先は出口になります。 |
東側の坑門は大きくカーブした先にあります。 写真の正面は旧道跡ですぐに大崩落により道筋は完全に消滅してしまっています。 |
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東側の坑門です。反対側と同じデザインです。 | |
東側の扁額です。 | |
西側と同じく向かって右側には「縣道日吉八百津線」の銘板があります。 こちら側の内壁には電線を吊るしていたと思われる金具と碍子が残っています。二個で一組ということは単相交流だった? |
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左側にはやはり竣工銘板があります。 この辺りも戦前は下立村の中心地のすぐ近くで周囲には建物や畑などがあったのが昔の航空写真から見て取れますが、丸山ダム建設により下立村が消滅し今では周囲は無人地帯となっています。 |
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東側より見たトンネル内部です。 東側よりは入ってすぐに大きくカーブしています。 |
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待避所部分を東側より見た写真です。 | |
東側坑門横の旧道跡と謎の穴です。人工的に掘られた穴で途中で埋め戻されています。穴の正体については諸説言われていますが実際のことは分かりません。 穴の位置やサイズからして「試掘坑の跡」、「横坑の跡(ズリ出しコンペア坑跡、換気坑跡)」のような気はしますが…。(実は二股隧道とは直接関係ないという可能性もありますが) |
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なんか背後より熱視線を感じたので振り返ると前回につづきまたしても彼が… |
初稿:2007年4月14日
全面改稿:2012年2月11日